
補綴から予防へ――
熊谷先生との出会いが変えた歯科医療観
森宿歯科医院|佐藤克典先生
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佐藤 克典先生は大学卒業後、大学の講座には残らず、すぐに開業医へ勤務されたとお聞きしています。最初はどのような歯科医師を目指していたのでしょうか。
大学を卒業してすぐ、いわき市にある補綴を専門とする開業医のもとに勤務しました。そこで約10年間にわたり補綴治療を中心に学び、その後、独立開業しました。当時は、自費診療のクラウン・ブリッジを中心とした「プロフェッショナルな補綴」を目指していました。まだインプラントが一般的ではなく、クラウン・ブリッジを中心とした補綴治療から、マグネットデンチャーなど新しい治療法へと発展していく時代でした。
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補綴中心の診療から予防歯科へと舵を切るきっかけは、何だったのでしょうか。
地元・福島県須賀川市で開業してみると、患者さんのお口の状態があまりにも悪かったんです。むし歯が多く、歯周病の管理も十分にされていない。とても自費診療による補綴治療をご提案できるような状況ではありませんでした。
残っている歯を何とか治療して一年ほど経った頃、大学時代の同級生から「熊谷先生のセミナーがあるから行ってみないか」と誘われました。
恥ずかしい話ですが、その時まで熊谷先生のことはほとんど知りませんでした。歯科雑誌でお名前を見る程度で、当時の私は補綴以外にはあまり興味がなかったんですね。
たまたま山形で開催されたセミナーに友人と参加し、そこで熊谷先生のカリエスフリー症例や長期経過症例を見せていただきました。「こんな歯科医療ができるのか」と、大きな衝撃を受けました。その出会いが、私の歯科医療に対する考え方を大きく変える転機となりました。

ヘルスケア歯科研究会、
そしてオーラルフィジシャンへ
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熊谷先生との出会いをきっかけに、ヘルスケア歯科研究会(現日本ヘルスケア歯科学会)へ入会されたのですね。
はい。セミナーを受講した翌年に入会し、当時は認証ミーティングが始まった頃で、「一定の基準を満たした診療所を認証しよう」という取り組みが進められていました。山形県の太田先生や佐々木先生をはじめ、理事の先生の発表を拝見して、「やはりこれからはこういう歯科医療を実践していかなければならない」と確信しました。
その会場でサンフォートの鈴木さんに「口腔内写真をしっかり学ぶことはできますか」とお聞きしたところ、「もちろんやりますよ」と言っていただいて、そこから本格的に導入を始めました。
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その後は、活動の中心がオーラルフィジシャンへ移っていったのでしょうか。
そうですね。オーラルフィジシャンへ参加するタイミングでヘルスケア歯科研究会は退会し、それ以降はこちらでの活動が中心になっています。
外部で講演する機会はあまりありませんが、地元の歯科医師会で学術担当として講演会を企画したり、オーラルフィジシャン・チームミーティングで発表したりすることが主な活動になっています。

東日本大震災という試練
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先生の開業地、須賀川市は東日本大震災で大きな被害を受けた地域でした。当時はどのような状況だったのでしょうか。
市役所が半壊し、建て替えになるほど、非常に大きな揺れでした。幸い当院は壁紙が剥がれる程度で済みましたが、市内では断層沿いの地盤が1メートルほど隆起した場所もあり、立ち入り禁止区域になったところもありました。
さらに原発事故の影響で放射線量も高くなりましたので、家族は会津の実家へ約2週間避難させました。会津は原発から約90キロ離れていましたので、比較的安心できたんです。私は先に戻ってきましたが、断水が続いていたため診療を再開できませんでした。水道が復旧したのは震災から約8週間後でした。
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診療を再開するまでの間、患者さんへの対応はどのようにされたのでしょうか。
診療所の留守番電話には、「ストレスで歯が割れてしまった」「歯が欠けてしまった」という患者さんからの連絡が数多く入っていました。スタッフにも「来られる人はいますか」と声をかけ、水道の復旧後、診療を段階的に再開しました。再開まで約1か月を要しました。
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精神的にも大変厳しい時期だったのではないでしょうか。
震災直後は余震が続いていましたし、子どももまだ小さかったので、家族はかなり不安を感じていました。ただ、私自身は「ここでやるしかない」という思いが強かったので、精神的に大きく落ち込むことはありませんでした。
一方で、遠方の勉強会へ参加する気持ちにはなかなかなれませんでしたね。しばらくはオーラルフィジシャンの活動もオンライン中心になりました。

小規模でも質の高い歯科医療を目指して
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震災前はスタッフも揃い、医院運営が軌道に乗り始めていたと伺っています。その後はいかがでしたか。
ちょうど体制が整い始めた頃に震災が起き、在籍していたスタッフが少しずつ退職していきました。その後も応募はほとんどなく、かなり苦労しました。歯科助手を募集してもまったく応募が来ないような状況が続いて、振り出しに戻ったような状況でした。ただ、最近になってようやく歯科衛生士が5名体制まで戻ってきました。
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現在はユニット5台で診療されているとことですが、医院を大規模化するお考えはあまりないのでしょうか。
はい。以前に勤務していた医院はかなり大規模で、人のマネジメントには本当に苦労しました。医院を大きくすることで医療の質が下がったり、現場が回らなくなったりするリスクもあります。ですから、今は無理に規模を拡大したいとは考えていません。子どもたちが将来歯科医師として戻ってくるかどうか、その時の状況に応じて考えていきたいと思っています。

家族経営が生み出すチームの強さ
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奥様が歯科衛生士として開業当初から一緒に医院を支えてこられたそうですが、それは先生にとって大きな強みだったのでしょうか。
本当に大きかったです。開業当初は、妻が初期治療からメインテナンスまで、ほぼ一人で担当してくれていました。患者さんが増えてきてからは、私が治療と初期治療を担当し、妻がメインテナンスを担当するという役割分担になっていきました。震災後、スタッフが少ない時期もありましたが、家族だからこそ、一緒に乗り越えられたことが数多くありました。
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現在は5名の歯科衛生士が在籍されているそうですが、どのような構成なのでしょうか。
妻が50代で、そのほかに10年以上のキャリアを持つ歯科衛生士が1名、3年前に新卒で入職した20代が2名、さらに昨年50代で転職してきた歯科衛生士が1名います。20代から50代まで、ちょうど4世代が一緒に働いているような職場ですね。
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世代を超えた教育や指導は、どのように進めていらっしゃいますか。
まずは中堅の歯科衛生士が新人を指導し、私がそのサポートをするという形にしています。50代で転職してきた歯科衛生士は、口腔内写真も歯周病検査もゼロからのスタートでしたが、とても努力家で、今ではしっかり口腔内写真も撮れるようになっています。私自身も予防歯科を導入した当時、「まず自分が口腔内写真を撮れるようになってから歯科衛生士に任せよう」という方針で取り組んできました。自分自身ができないことをスタッフに求めることはできない、それは今でも大切にしている考え方です。

採用難という現実と、奨学金制度への期待
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地方では、歯科衛生士の採用が非常に厳しい状況だと伺っています。
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現在の採用難はどうお感じですか。
この10年ほどは、ハローワークからの応募はほとんどありません。大手の求人サイトに掲載しても、地域性もあって応募にはなかなかつながりません。現在は、地元に求職者を抱えている紹介会社から、「こちらの医院で働いてみませんか」と声をかけてもらう形が中心になっています。その分、紹介料が必要になるのが現実です。
CG:現在の採用環境については、どのように感じていらっしゃいますか。
求人紹介会社が増えたことで、歯科衛生士の転職がしやすくなり、結果として離職率が高くなったり、給与が上昇している面はあると思います。だからこそ、新卒の段階から医院とのつながりをつくる仕組みが必要ではないでしょうか。歯科衛生士学校では、学生のおよそ3割から4割が奨学金を利用していると聞いています。もし歯科医院が奨学金の返済を支援するような制度が整えば、これまで紹介会社へ支払っていた費用を、そのままスタッフへの支援に回すことができます。そうした仕組みが広がれば、地方の採用環境も少しずつ変わっていくのではないかと期待しています。

人生100年時代の歯科医療を、
地域で支え続けるために
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最後に、先生が思い描いている今後の展望をお聞かせください。
予防歯科は、患者さんが定期的に通い続けてくださって初めて意味があります。ただ、人生100年時代になると、長年通院してくださっていた患者さんも、高齢になってご自身で来院することが難しくなってきます。その時には私自身が訪問診療を担い、子どもたちが院内の診療を支える体制へと移行できればと考えています。
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息子さんと娘さんが歯科医師になられるとのことですが、将来的には医院承継も視野に入れていらっしゃるのでしょうか。
そうですね。後継者がいない地域の歯科医院を引き継ぎながら、地域の中で同じ診療システムを広げていくことも、一つの選択肢かなと思っています。
一つの医院を大きくするよりも、地域の中に複数の拠点があり、どこでも同じレベルの医療を受けられる地域に根ざした体制のほうが、私にはあっているように思います。
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歯科医師会のセミナーで「先生は幸せものだ」と言われたエピソードが印象的です。
スタッフも勉強会に参加してくれるし、子どもも歯科医師の道を選んでくれました。歯科医師会のセミナーで「先生は幸せ者だ」と言っていただいたことがありますが、その言葉の意味を改めて感じることがあります。後継者がいなかったり、スタッフが集まらなかったり、本当に苦労されている先生もたくさんいらっしゃいます。だからこそ、経営で何億円を目指すということよりも、地域の患者さんの健康を長く守り続けること。それが私にとっての歯科医師としての幸せの形なのだと思っています。

編集後記
佐藤先生は、オーラルフィジシャン育成セミナー第1期の受講生です。現在では第77期まで続く歴史あるセミナーとなりました。
今回お話を伺いながら感じたのは、第1期の先生方と現在の受講生とでは、抱えている課題そのものが変化しているということです。
第1期の受講生は、「患者さんの口腔内の状態をどう改善するか」「予防歯科をどう診療に取り入れるか」といった、診療の根幹に関わる課題を切実に抱えていました。その問題を解決したいという強い思いが、当時の受講動機につながっていたように感じます。
一方、現在の受講生が取り組む課題は、その延長線上にあります。メインテナンス体制の構築、スタッフ教育、実技スキル、医院運営など、より成熟した予防歯科を実践するための課題へと変化しています。
これは現在の受講生の熱意が低くなったということではありません。むしろ、先輩方が長年にわたり積み重ねてきた実践によって、日本の予防歯科の水準が一歩ずつ引き上げられてきた証なのだと思います。
佐藤先生の歩みを振り返ることは、一人の歯科医師の歴史を知るだけではなく、日本の予防歯科がどのように発展してきたのか、その軌跡を知ることでもありました。