
歯科衛生士・町田さんが語る
「予防型歯科医療」の本質
CG岩田有弘歯科医院/歯科衛生士インタビュー2
30分のアポイントでは
決して辿り着けない、
患者さんの人生に触れる歯科医療
ゲスト:町田博美さん
(岩田有弘歯科医院 歯科衛生士・勤続12年)
小伝馬町駅から徒歩2分。日本橋大伝馬町の地に居を構える「岩田有弘歯科医院」は、「抜かない歯医者」として全国から患者が訪れる、予防歯科の最前線です。 ここで新卒から10年という歳月を駆け抜けてきた歯科衛生士、町田さんは、同院の「ism(哲学)」を最も深く体現する一人です。
一人の患者さんに3時間をかける。初診料は10万円。そんなストイックな環境の中で、彼女は何を学び、何に苦しみ、そしてどのような「歯科衛生士の幸福」を見出したのか。その10年間の軌跡と、彼女が信じる予防歯科の核心に迫ります。

「30分」という限界への違和感と、
プロとしての誠実さ
CG:
町田さんは新卒で入職されてから、今年でちょうど10年目。今では医院の中核を担う存在ですが、まずは歯科衛生士を志した原点から伺えますか?
町田:
実を言うと、学生時代はそれほど高い志があったわけではないんです(笑)。「資格さえあれば、どこへ行っても仕事に困ることはないだろう」という、本当に現実的な安定思考からの選択でした。
CG:
当時は「歯科衛生士バブル」と言われ、求人情報が溢れていたかと思います。その中でなぜ、あえて若者が集まる繁華街というよりも、中小企業のオフィスが点在する落ち着いた街並みが広がる日本橋小伝馬町にあって、それも「一人の患者さんに極限まで時間をかける」岩田有弘医院を選んだのでしょうか。
町田:
実習先での体験が大きかったです。そこは歯科衛生士のメインテナンスに30分アポイントで回している一般的な医院でした。新人の私には手際が追いつかず、「自分はなんて仕事が遅いんだろう」と落ち込む一方で、「ちゃんとやろうとしたら、30分では何も伝わらないし、何も守れない」という強い違和感がありました。だから、就職先は「最低でも1時間はアポイントを取れる歯科医院」を絶対条件にし探したんです。
CG:
町田さんは手際が悪いのではなく、手抜きが下手なだけです(笑。そこで手抜きを許さない環境だったのが、岩田先生の医院だったわけですね。
町田:
はい。最初は「3時間も何をするんだろう?」と半信半疑でしたが、先輩たちの動きを見て、その3時間が一瞬で過ぎ去るほどの密度であることを知った時、自分の進むべき道はここだと確信しました。
CG:
なるほど。多くの歯科衛生士が「効率よく回すこと」を求められる現代において、新卒時の町田さんが抱いたその違和感は、極めて本質的なものだったのですね。30分単位の診療では、どうしても「クリーニングして送り出す」という作業に終始せざるを得ません。そこに潜む「医療の質の欠如」を見抜いた町田さんの感性こそが、現在の本質的な予防実践の土台となっているのだと感じます。

「3年目の壁」
——データから物語へ、
予防歯科のパラダイムシフト
CG:
入職後、順調にキャリアを積まれてきた中で、壁にぶつかったことはありましたか?
町田:
2年半から3年目くらいの頃ですね。SRPなどの技術にも慣れてきた頃、自分の仕事が先輩たちに比べて、圧倒的に「浅い」ことに気づいたんです。
CG:
「浅い」というのは、具体的にどういうことでしょうか。
町田:
私は患者さんの「口腔内の数値」しか見ていなかったんです。でも、お口の状態が改善しない背景には、必ずその方の「人生」があります。転職によるストレス、家庭環境の変化、あるいは本人が抱いている歯科に対する価値観……。そういった「生活背景」を引き出し、そこに寄り添うことができていない自分に気づいたんです。
CG:
数値の裏にいる一人ひとりの患者さんを見つめ直したと。
町田:
はい。データだけで10年、20年という長期の関係は築けません。時間があるからこそ、一歩踏み込んで患者さんの悩みを聞くことができる。今では広島から新幹線で4時間かけて来てくださる方や、三重から泊まりがけで来てくださる方も担当していますが、その方々の人生に伴走する覚悟が必要なのだと学びました。
CG:
まさに、歯科医療における予防のパラダイムシフトですね。予防は、単なる「清掃」ではありません。町田さんが直面した壁は、医療が「客観的なデータ(Disease)」から「主観的な物語(Illness)」へと移行する際の通過儀礼だったのでしょう。このナラティブ・ベイスト・メディスン(Narrative Based Medicine)の視点を得たことが、町田さんを単なる技術者から真の「医療人」へと変化させたのだと思います。
「10万円の初診料
——価格設定が生む「覚悟」の相互作用
CG:
日本橋という立地、そして「抜かない歯医者」としてのこだわり。その象徴とも言える「初診料10万円」という設定について、当時どう感じていましたか?
町田:
20代前半の私には想像もつかない金額でした(笑)。でも、その価値を教えてくれたのは、皮肉にも「保険診療」の体験だったんです。勉強のために、近所の保険主体の歯医者さんに初診で行ってみたことがありました。
CG:
現役の歯科衛生士さんが、一般の患者さんとして他院を体験されたのですか。
町田:
はい。そこではほとんど説明もなく、超音波スケーラーを当てられても歯茎に水がかかっているだけで、何をされているのかさっぱり分からない。それで3,000円から5,000円ほど払った時、私は逆に「高い!」と感じてしまいました。
CG:
納得感のない5,000円を「高い」と感じる感覚、わかるような気がします。
町田:
満足感がゼロだったからです。一方で、私たちの医院では10万円をいただきますが、それだけに、お口の中を14の部位に分けてレントゲンを撮影し、各部位を2枚のフィルムで記録します。3時間以上かけて徹底的に現状と原因を伝えます。患者さんは「今まで自分の口のことをこんなに教えてもらったのは初めてだ」と納得して帰られます。その納得感が、家での歯ブラシを変え、生活を変える力になるのだと思っています。
CG:
初診10万円という価格設定は、患者にとっては「健康への投資」であり、医療者にとっては「人生を背負う責任の表明」に他ならない。この強固な緊張感と相互作用こそが、保険診療の枠組みでは到達不可能な信頼関係を構築し、盤石な健康維持という結果を導き出されるのでしょう。

MTMのシステムと、
血を通わせる「手書き」の熱量
CG:
システムとしての「MTM(メディカル・トリートメント・モデル)」を実践する上で、町田さんがこだわっているポイントはありますか?
町田:
5つのプログラムに沿った説明はもちろんですが、私が最も大切にしているのは「手書きの資料」なんです。当院ではデジタルも駆使していますが、私は患者さんにお渡しする資料には必ず自分の言葉を書き添えるようにしています。
CG:
日本橋という都会のオフィス街にありながら、あえて「手書き」というアナログを。
町田:
デジタル資料の明解さは否定しません。しかし、一言の自筆を添えることで、伝達の次元は一変します。「あなたのために記した」という熱量は、手書き特有の特異性に宿るものです。この対話的アプローチが、信頼関係の基盤を形成します。
CG:
受信者側への効果は明白ですが、発信者である医療者自身には、どのようなポジティブなフィードバックがあるとお考えですか?
町田:
手を動かすことで、個々の症例に対する考えが整理され、最適なソリューションの選択精度が高まります。岩田先生が大切にされるアナログなアプローチは、患者さんに「一対一の対峙」を認識させる装置です。この実感が、信頼の鍵となります。
CG:
科学的プロトコルとしてのMTMが、単なる形式に陥ると患者は離反します。町田氏の「手書き資料」は、システムを人間的な物語へと翻訳するNBMの実践です。これこそが「ハイテクかつハイタッチ」な歯科医療の真髄といえるでしょう。

10年目に誓う「一生のパートナー」としての誇り
CG: 10年という歳月、常に平穏であったわけではないと思います。率直に伺いますが、その歩みを止めようと考えた局面はありましたか?
町田: ええ、幾度もありました(笑。岩田先生は温厚な方ですが、こと医療に関しては一切の妥協を排する、真面目でまっすぐな方です。その真摯さが、時に現場では「融通の利かなさ」として軋轢を生むこともありました。
CG: プロフェッショナル同士ゆえの衝突ですね。それでもなお、町田さんがこの場所に踏みとどまり続けた動機は何だったのでしょうか。
町田: 最終的には、患者さんの存在に行き着きます。10年という時間を共有した方は、もはや単なる「症例」ではありません。家族背景まで含めた、代替不可能なNBM(物語)を共創するパートナーです。私が不在になることで、この10年の積み重ねを誰が担うのか。そう考えると、その責任の重さを自覚し、怖くて辞められませんでした。
CG: 患者さん一人ひとりの人生に対する絶対的な責任感。それが、町田さんの歩みを突き動かしてきたように感じます。
町田: ええ。だからこそ後輩たちには、単なるタスクとしての「作業」に埋没せず、その奥にある「対話の価値」を掴み取ってほしいんです。私にとって認定資格はゴールではありません。より広く、より深い責任を引き受けるための、新たなスタートラインに過ぎないと考えています。
CG: 町田さんという一人の「個」が、単なるスタッフの域を超え、医院の信頼そのものを構築する核となっている。その伴走者としての在り方は、まさに組織の財産ですね。
町田: ありがとうございます。ただ私自身、効率を優先した30分アポの診療モデルには、もう戻ることはできません。一人の患者さんに深く関与できる、この「濃密な時間」こそが、歯科衛生士として得ることのできる本当の豊かさだと思います。一生を託されるプロとして、今後もこの道を揺るぎなく歩み続けたいです。
【編集後記】
町田さんへのインタビューを通じて浮き彫りになったのは、歯科衛生士という職能が到達し得る可能性の無限さであった。
「手に職を」という現実的な動機から始まった彼女のキャリアは、10年という歳月を経て「他者の人生を預かる」という使命へと昇華された。3時間のアポイントメント、手書きのメッセージ、そして10年に及ぶ患者さんとの絆。それらは安易な効率化という誘惑を峻絶し、目の前の一人と徹底的に向き合ってきた誠実さの集積に他ならない。
「抜かない歯医者」岩田有弘歯科医院が掲げる予防歯科のism(哲学)は、町田さんのような「逃げない」覚悟を持つプロフェッショナルの存在によって、初めて実体を持つ。システムを動かすのは、常に個人の強固な意志であることを確信させるインタビューであった。
(取材・文:
コミュニケーション・ギア編集人 伊藤)




