楕円の中で靴を脱ぐ
先日、精神科医・森川すいめいさんの講演を聴く機会がありました。会場に入ってまず目に入ったのは、椅子の配置でした。
前を向いて整然と並ぶのではなく、緩やかな楕円形。
中央に立った森川さんは、どこか謙虚で、飾らない様子でこう言いました。
「私はこのほうが話しやすいので」
そう言って、静かに靴を脱ぐ。
決して演出ではありません。
けれど、その瞬間に場の緊張がふっと解ける。
講演が始まる前に、すでに対話は始まっていました。
原点にある“聴けなさ”
森川さんは精神科医であり、鍼灸師であり、ホームレス支援団体「TENOHASI」を立ち上げた方です。若い頃、路上で出会う人々に向き合う中で、森川さんはある壁にぶつかったと語っていました。
歯科医療者として何か役に立つことを言おうとする。
正しい助言をしようとする。
けれど、その瞬間に、関係が閉じてしまう。
「聴いているつもりで、聴いていなかった」
その気づきが、森川さんの原点にあるように感じました。
だからこそ今も、森川さんは“教える人”にならない。
講師でありながら、講師然としない。
まとめない。断定しない。そして、急がない。
「発話」という安心、その落とし穴
講演で語られたのは、「発話」と「対話」の違いでした。
発話とは、話したいことを一塊にして全部話すこと。
論理的に、漏れなく、正確に。
それは歯科医療者にとって、とても「安心」な行為です。
- 説明した。
- 伝えた。
- やるべきことはやった。
人は言葉そのものからは7%しか受け取らない。
残りは、声のトーン、間、姿勢、視線、そして空気。
さらに、7分以上一方的に話せば、相手の脳は飽和状態になる。
どれだけ正しく話しても、“全部話すこと”は“届くこと”ではないのです。
歯科臨床との対比
そのとき、私の頭に浮かんだのは歯科診療室の光景でした。初診のカウンセリング、あるいは再評価の日。
「PCR 18%、BOP 12%。右上6番遠心4mmで出血あり」
「このままでは安定とは言えません。再度SRPを行いましょう」
「フロスは毎日通してください」
すべて正しい。すべてエビデンスに基づいている。
しかし、その説明の最中、患者さんの中で何が起きているでしょうか。
仕事への不安、費用の心配、処置への恐怖。
あるいは、また自分の至らなさを指摘さるという、逃げ場のない感覚。
それらを確かめないまま、次のスライドへ、次の説明へと進んではいないでしょうか。
森川さんが感じた「聴いているつもりで聴いていなかった」という感覚は、歯科医療の現場にも確実に存在しています。
沈黙を急がない
講演中、ある参加者が個人的な体験を語りました。場に沈黙が流れます。
普通なら、講師がまとめに入るか、誰かが“無難な答え”を提示しようとする場面です。
しかし森川さんは、その沈黙を遮断しませんでした。
ただ、言葉をゆっくりと繰り返す。
やさしい眼差しで参加者と会場全体を見ている。
それだけ。
そのあと、別の参加者がぽつりぽつりと話し始めました。
歯科医療者は饒舌すぎるのかもしれません。
診療室でも、患者さんが言葉に詰まると、間を埋めるように説明を重ねていないでしょうか。
沈黙は失敗ではない。
それは対話が始まる直前の、大切な「耕しの時間」なのです。
対話という「OS」
予防歯科は、数値の改善だけでは続きません。
エビデンスも理論もある。
けれど、それが患者さんの中で“自分ごと”にならなければ、習慣は変わりません。
森川さんの話を聞きながら、私は一つの答えを得ました。
予防型歯科医院に必要なのは、新しい知識や技術以上に「対話というOS」なのではないか。
エビデンスは正しい。
しかし、対話というOSが走っていなければ、
その情報は患者さんにインストールされないのです。
歯科医療の核心へ
森川すいめいという人は、理論を語る人ではなく、その「在り方」を示す人でした。対話とは、うまく話すことではない。
相手の変化を信じ、自分も揺れることを引き受ける姿勢そのものです。
歯科医療者は、どこかで「発話」に逃げていないだろうか。
ひと通り説明したという安心に、寄りかかっていないだろうか。
「対話とは何か」という問いは、歯科医療の核心に触れているように思います。
取材と文・コミニケーションギア編集人 伊藤日出男
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