
予防歯科、正しくやるほど苦しい。そのモヤモヤについて
予防歯科に関わる仕事をしていると、ここ数年、ある種の「違和感」を感じることが増えてきました。
予防歯科は、確実に広がっています。メインテナンスに通う患者さんも増え、医院の中に「予防」という考え方が根付いてきたこと自体は、間違いなく一つの進歩だと思います。
ただ、その一方で、現場の感覚としてはどうでしょうか。
医院が楽になっているかといえば、そうでもない。経営が安定しているかといえば、そう言い切れるわけでもない。スタッフとの温度差が自然に埋まっているかというと、むしろ難しさを感じているケースも少なくありません。
この違和感は、どの医院にも当てはまるものではありません。むしろ、都市部で、真面目に予防歯科に取り組んでいる医院ほど強く感じているのではないかと思います。地代や人件費の上昇、スタッフ確保の難しさ、患者層の変化といった現実の中で、理想と現場の間に少しずつ歪みが生まれている。そんな印象があります。
正しく取り組んでいるはずなのに、どこかで無理がかかっている。むしろ、正しくやろうとするほど、構造的に難しくなる。そう感じる場面も増えてきました。
今回のシンポジウムの案内文を読んで、まず感じたのは、この違和感の正体がかなり正確に言語化されているということでした。
医療が「疾患を治すもの」から「健康を維持するもの」へと大きく転換しているという世界的な流れと、それを現場でどう成立させるのかという現実的な問い。この二つが、きれいごとではなく、同じ文脈の中で語られている点が印象に残りました。
予防歯科の話は、どうしても理念や概念に寄りがちです。しかし今回の内容は、米国の医療保険データや医科歯科連携の実例、世界水準の臨床教育、そして日吉歯科診療所の長期症例といった、すでに機能しているモデルを前提にしている。その意味で、「考え方」ではなく「構造としての医療」を扱っていると感じました。
もう一つ気になったのは、臨床教育の位置づけです。予防歯科がうまくいかない理由の多くは、実は教育にあるのではないか。なぜ定着しないのか、なぜ再現できないのか、なぜ属人的になるのか。その答えが、後半のテーマに含まれているように思えました。
予防歯科は、すでに導入する段階ではなく、医療として成立させるだけでなく、経営としても成立させる段階に入っているのだと思います。
その意味で、このシンポジウムは単なる情報収集の場ではなく、これからの医院の立ち位置を考える場になるのではないでしょうか。
私自身の解釈も含まれていますが、原文の案内にはその全体像がしっかりと書かれています。ぜひ一度、そのまま読んでいただくことをおすすめします。