予防歯科に通う中高年の方の矯正治療
先日、米国に住む60代の友人と数年ぶりに再会しました。米国では歯科医療費が非常に高く、場合によっては「一軒家が建つほど」とも言われます。そのため、定期的なメインテナンスに通い、むし歯や歯周病を予防する習慣が定着しています。この友人もそれを欠かさず、健康的な歯を保っています。
しかし最近、下の前歯がわずかに重なってきたことについて、かかりつけの歯医者さんに「インビザライン」(マウスピース型矯正装置:透明なマウスピースを使って歯並びを整える矯正治療)を勧められたとのことでした。歯科の専門家ではない友人の口からその言葉が出たことに少し驚きましたが、米国では日常会話に登場するほど浸透しているようです。むし歯や歯周病の予防が当たり前になると、以前は気にならなかったわずかな歯並びの乱れも、気になるようになるものですね。「矯正は子どものもの」と思われがちですが、今後は中高年向けのこうした「部分的な矯正」がますます増えていくでしょう。
実は、歯並びは一生同じではありません。40〜60代になると、健康なお口の中でも前歯が重なってくることがあります。これは歯が徐々に前方へ傾斜するという自然な加齢変化によるものであり、放置していると重なりが大きくなり、磨き残しや噛み合わせの変化といった将来のトラブルにつながることもあります。
マウスピース型矯正装置は、金属のワイヤーやブラケットを使わず、薄くて目立ちにくいマウスピースを、1~2週間ごとに交換しながら、歯を少しずつ動かしていきます。見た目の変化が少なく、生活スタイルを大きく変えずに済むのがメリットです。食事と歯みがきの際は取り外せるため、普段通り歯ブラシや歯間ブラシ、フロスが使え、プラークコントロールを妨げることもありません。その反面、装着忘れなどの自己管理が治療結果に直結するため、患者さんの高いモチベーションが不可欠です。
もちろん、マウスピースだけでなく、ワイヤーやブラケットを使った一般的な矯正も中高年で行うことが可能です。歯の移動量が大きい場合や、噛み合わせ全体を調整する場合には、こうした装置が適しています。最近では、目立ちにくい白いブラケットや、歯の裏側に装着する装置など、大人向けの配慮がなされた選択肢も増えています。「矯正は若い人がするもの」と思われがちですが、中高年から始めることも決して珍しくありません(北欧などでは小児の矯正治療が歯科保険に入っているので、成人矯正は大変珍しいですが)。歯周組織の状態が良ければ、理論上、矯正を始めるのに年齢制限はないのです。
「矯正をすると歯が悪くなるのでは」という不安についても、むし歯や歯周病が適切に管理されていれば心配ありません。重要なのは、矯正前にリスクを正しく評価し、矯正中・矯正後も定期的なメインテナンスを継続することです。この米国の友人のように、予防歯科が習慣化されていることこそが、大人になってからの矯正を成功させる前提条件といえるでしょう。
写真説明
中高年の方でも、歯周組織が健康であれば矯正するのは可能です。
Illustration by ChatGPT
参考文献
- AlMogbel, AbdulMajeed. Clear Aligner Therapy: Up to date review article. Journal of Orthodontic Science 12(1):37, September 2023. | DOI: 10.4103/jos.jos_30_23
筆者プロフィール
Makiko NISHI
西 真紀子
NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長
(旧称 「最先端のむし歯・歯周病予防を要求する会」)
| 1996年 | 大阪大学歯学部卒業 |
| 大阪大学歯学部歯科保存学講座入局 | |
| 2000年 | スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員 |
| 2001年 | 山形県酒田市 日吉歯科診療所勤務 |
| 2007年 | アイルランド国立コーク大学大学院修士課程修了 |
| Master of Dental Public Health (MDPH)取得 | |
| 2010年 | NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長 |
| (旧称 「最先端のむし歯・歯周病予防を要求する会」) | |
| 2018年 | 同大学院博士課程修了 |
| Doctor of Philosophy(PhD)取得 |
