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ちょっと待った! 親知らずを予防的に抜くこと

 よく聞かれる質問の一つに「親知らずがあるんですけど、抜いた方がいいですか?」というものがあります。親知らずが悪さをする前に抜いてしまう、しかも若いうちにという、これもひとつの「予防」です。親知らずが悪さをするというのは、隣にある大臼歯がむし歯や歯周病になりやすくなり、最終的には大切な大臼歯を失う可能性があります。

 私は3〜4年前に、顎の中に埋まって生えてこず、無症状の親知らずについて、国内外のガイドラインでどう考えられているのか調べたことがあります。昔は、そういう親知らずは有無を言わせず予防的に抜くことが普通でしたが、症状がなければ経過観察でも良いということをいろいろな場所で聞くようになったからです。その時の私の調査では米国、ドイツ、マレーシア、イングランド、スコットランド、フィンランド、ベルギー、カナダ、スウェーデン、ノルウェーの政府や学会から合計12のガイドラインが得られました。残念ながら日本のガイドラインは見つけられませんでした。結論としては予防的に抜くことに対して肯定するエビデンスも否定するエビデンスも確立されておらず、多数派は「すぐに予防的抜歯はせずに、経過観察をする」というものでした。

 しかし、世界各国で多くの歯科医がこの判断に反対しており、人生後半でこれらの歯を抜歯する方が困難であり、合併症のリスクが高まると主張しています。最近、また冒頭と同じような質問を受けたことをきっかけに、新しい科学的エビデンスではどういう見解になっているのか調べてみました。

 科学的エビデンスの質が非常に高いものに「コクラン・レビュー」というのがあります。このトピックに関する最新(2020年)の「コクラン・レビュー」 では、「無症状で、顎の中に埋まった親知らずについて、歯科医療専門家や政策立案者が治療方針を決定するための科学的エビデンスが不足しています。そのため、歯科医療専門家は臨床的な専門知識や地域的、または国家的な臨床ガイドラインに基づき、患者の希望を考慮して対応することになるでしょう。そのような親知らずを抜歯しない場合は、定期的に歯科医療専門家によるモニタリングを行うことで、発生し得る問題を特定し、対処することが可能になります。」と書かれていました。

 同じく2020年に出版された英国の約150ページにも及ぶ報告書では、様々な要因を考慮した費用対効果のシミュレーションでは、経過観察する方が予防的抜歯をするよりお金はかからないものの、クオリティ・オブ・ライフの経済的価値を考慮すると予防的抜歯の方が費用対効果が高いという結果を示しました。しかし、今のところ、この結果が経過観察を推奨する現行の英国ガイドラインを覆してはいないようです。

 興味深いことに、2021年に出版された米国の論文では親知らずがあることで隣の大臼歯がむし歯になるリスクは高くなりますが、それが歯の喪失するリスクを高くするわけではなかったそうです。さらに、カタールと英国の研究者らは親知らずの抜歯について顎に埋まっているかどうか、症状があるのかどうかを含め、国際的にも使えるような分かり易いガイドラインを2024年に提案しています。これも症状がないものは経過観察すべきであると述べています。

 ということで、専門家の間では親知らず論争はまだまだ続きそうです。専門家ですら意見が分かれるのですから、親知らずの抜歯を決める時は、個人の状況に合わせて利点と欠点などについて納得の説明を受けてから決定してください。


画像説明

親知らずを抜くことを決める時は、歯科医院でよく説明をしてもらってから。
Illustration by ChatGPT


筆者プロフィール

Makiko NISHI

西 真紀子 NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長
(旧称 「最先端のむし歯・歯周病予防を要求する会」)

1996年 大阪大学歯学部卒業
     大阪大学歯学部歯科保存学講座入局
2000年 スウェーデン王立マルメ大学歯学部カリオロジー講座客員研究員
2001年 山形県酒田市 日吉歯科診療所勤務
2007年 アイルランド国立コーク大学大学院修士課程修了
Master of Dental Public Health (MDPH)取得
2010年 NPO法人「科学的なむし歯・歯周病予防を推進する会」(PSAP)理事長
(旧称 「最先端のむし歯・歯周病予防を要求する会」)
2018年 同大学院博士課程修了 
   Doctor of Philosophy(PhD)取得